<特別展>

石巻水産

東北大震災復興企業
木の屋石巻水産

prologue

はじめに


当ミュージアムと木の屋石巻水産との出会い


当ミュージアムが木の屋石巻水産と出会ったきっかけは、連携している日本経営道協会が主催する「リード力開発道場」でした。震災のあった2011年、リード力開発道場11期生は「企業訪問」プログラムで被災企業の一つ、木の屋石巻水産を訪ねました。
11期生メンバーはこの研究を通じて、被災企業の現状を知り、担当チームだけでなく、他のチームのメンバーも参加して、現地へのボランティア活動を行いました。

リード力開発道場11期生のみなさん。(2011年11月修了パーティー)
リード力開発道場11期生のみなさん。(2011年11月修了パーティー)
現地に赴いたリード力開発道場11期生のみなさん。
現地に赴いたリード力開発道場11期生のみなさん。

リード力開発道場とは?


日本経営道協会が行なっているリーダーシップの実践力をつけるセミナー。実践経営道を学び、経営者としての人間力や思いを同じくする同志のネットワークを育てます。


2011.3.11

東日本大震災

全てを押し流してしまった津波。

もう、事業は続けられない…。


2011年3月11日の東日本大震災は木の屋石巻水産に甚大な被害をもたらしました。工場は外枠だけを残して全て流され、本社社屋も瓦礫の山となりました。当然、加工のために必要な機材、資材、原料、出荷前の製品に至るまで…。
当時、社長であった木村長努(ながと)氏は「とても事業は続けられない。従業員たちに頭を下げて会社を畳もう。」と覚悟しました。
けれども、その逆境が「希望の缶詰」を生み出しました。


東日本大震災における石巻市の被災状況
① 発生日時 2011年3月11日(金) 14時46分18秒
② 震源 三陸沖 震源の深さ24km M9.0
③ 石巻市最大震度6強
④ 津波最大波 8.6M以上
⑤ 人的被害 死者数3,237人・行方不明者数717人
⑥ 家屋被害 全壊・大規模半壊 41,169棟


そして、「希望の缶詰」は誕生した。

東京と石巻。二つの街の人々が「希望の缶詰」で繋がった!


津波によって倉庫にあった缶詰は泥に埋まってしまいました。その缶詰を一つひとつ掘り起こし、洗って、「希望の缶詰」と名づけ、支援者に買ってもらおう、というアイディアが東京・経堂の街から生まれました。被災した倉庫の泥の中から掘り起こす人、缶詰を洗う人、立ち止まって缶詰を買い求める人々、缶詰を用いたラーメンや料理を食べてくれる人…、話題はメディアに乗って拡散しました。それを知った人々によって全国から注文が集まり、多くの人々を巻き込んで、なんと、60万個もの缶詰が泥の中から救い出され、復興のために活かされていったのです。
このエピソードは絵本になり、語り継がれています。

フジテレビ「Mr.サンデー」より。マスコミも多く報道しました。
フジテレビ「Mr.サンデー」より。マスコミも多く報道しました。

絵本「きぼうのかんづめ」
文:すだ やすなり
絵:宗 誠二郎
発売:株式会社ビーナイス
定価:1,200円(税別)
ISBN : 978-4-905389-11-8


奇跡を起こした「受援力」と「受縁力」。

「受援力」「受縁力」とは。


「希望の缶詰」の話題は震災で心折れた日本で大きな励ましのひとつとなりました。
「希望の缶詰」は経堂の飲食店の人々の発案から始まったプロジェクトでした。
「あの缶詰がなくなってしまうのは困る」というファンの人々の強い希望、日頃から愛されるものづくりをしてきたからこそのムーブメントだったのです。
「弱くなったから応援してもらった」のではなく「応援したくなるような理由」がありました。
それは元々、優れた企業理念と精神が育んできた力だったのです。
当ミュージアム代表の市川覚峯はそれを、「受援力・受縁力」と呼びました。

現在、絵本のイラストを使ったチャリティ商品を「きぼうのかんづめ」と銘打ち、売上の一部を東北の子どもたちを応援する公益社団法人「MORIUMIUS」の活動に寄付しています。

被災当時は壊滅的な状態でしたが、従業員を解雇することもなく、多くの支援を受けて木の屋石巻水産は一歩、一歩復興の歩みを進めてきました。2013年には内陸に新しい工場を竣工。工場は鯨の形を模したデザインとなっています。

受援力とは
応援される会社、応援したくなる会社、援助を受ける力を持っている会社
受縁力とは
徳を積むことで、客から客へ口コミで広がり、会社との縁が広がっていく


「KAN KAN」 。
お陰さまの人づくり、ものづくり


創業者である父、そして経営を引き継いだ息子(現・会長)の事業経営に対する揺るがぬ信念があったからなのです。


木の屋石巻水産の「KAN KAN」精神


商品を愛し、とことんまでこだわる
ものづくりの精神(缶詰)

ものづくりには妥協しない。商品に自信があるからこそ、利益確保のダンピングには絶対に応じない。そういう姿勢が逆にブランド力を育てる結果になりました。全国にファンが存在し、製品がきっかけとなって人材が集まるほどになりました。

おかげさまの気持ち、感謝の心を大切にする(感謝)
一人勝ちに走らない。お客様に対しても、地元の人々に対しても、また、従業員相互の関係においても常に感謝の心を忘れない、ということを社風として育ててきました。

お客様、地元市民の皆様に感動していただくための
KANKANホール(鑑賞・感動)

「多目的施設KANKANホール」は音楽や芸能といった楽しいことを素直にお客様や地元の人々と分かち合うための場。被災前にはコンサートやイベントを盛んに催しました。残念ながらこちらも被災してしまいましたが、その心意気は「石巻ONE PARK」に引き継がれました。

月初めの特売日は鯨の日祭り!
タレントや歌手を呼んで市民に無料で提供(還元)

事業の利益を地元に還元する目的で毎月「鯨の日祭り」を催し、自社の優れた製品を安く提供したり、イベントでの楽しみを提供しました。現在も、季節ごとに鯨祭りが行われています。

市民のために作られた「KAN KANホール」。(写真:石巻経済新聞より http://www.e-kahoku.com/economic/contents/topnews008/008.htm)
市民のために作られた「KAN KANホール」。(写真:石巻経済新聞より http://www.e-kahoku.com/economic/contents/topnews008/008.htm)
海の恵は地元の皆さんと分かち合う。製品の特売だけでなく、タレントや歌手を呼んで、みんなで楽しむ。昔から変わらぬ木の屋石巻水産の伝統です。
海の恵は地元の皆さんと分かち合う。製品の特売だけでなく、タレントや歌手を呼んで、みんなで楽しむ。昔から変わらぬ木の屋石巻水産の伝統です。
日本には数少ない本格的なスケートボードが楽しめる「ONEPARK石巻」。元は冷蔵倉庫でした。オリンピックの正式種目になって、ますます関心が高まっています。地元の家族や全国から若者が集まる他、コンサートなども催されています。(写真:“ゆく河の流れ3"ブログよりhttp://blog.livedoor.jp/channel030/)
日本には数少ない本格的なスケートボードが楽しめる「ONEPARK石巻」。元は冷蔵倉庫でした。オリンピックの正式種目になって、ますます関心が高まっています。地元の家族や全国から若者が集まる他、コンサートなども催されています。(写真:“ゆく河の流れ3"ブログよりhttp://blog.livedoor.jp/channel030/)

 

木の屋石巻水産の受援力・受縁力づくり。
株式会社 木の屋石巻水産

 

代表取締役社長 木村優哉
代表取締役社長 木村優哉
木の屋ホールディングス 代表取締役社長 木村長努
木の屋ホールディングス 代表取締役社長 木村長努

株式会社 木の屋石巻水産

創業
昭和32年11月
事業内容
水産加工製品製造販売
従業員数
75名
資本金
1億円


企業理念

1、商品開発に全力を尽くす
水産加工品メーカーのモデル

2、前向きに考える
チャレンジ・前進・進歩・成長

3、鯨文化の保存
使命感・社会的役割

 

こだわり抜いた優れた商品(受賞歴)

「くじらユッケ」
水産庁長官賞
(2005年宮城県水産加工品品評会)
「金華さばみそ煮」
宮城県経済産業部長賞
(2007年宮城県水産加工品品評会)
「愛しの舞アミー」
水産庁長官賞
(2008年宮城県水産加工品品評会)
「鯨賓館」
水産庁長官賞(2009年宮城県水産加工品品評会)
「鯨ベーコン切り落とし」
2009年楽天ランキング1位

 

沿革
木の屋石巻水産の歴史

1950年頃
石巻や登米周辺にて鯨の行商をはじめる

1957年
「石巻水産株式会社」創業
「鯨大和煮」製造開始

1994年
「カレイの縁側醤油煮込み」製造開始

1998年
「さんま醤油味付け」フレッシュパック缶詰製造開始

1999年
「株式会社 木の屋石巻水産」へ社名変更

2004年
「真いわし醤油味付け」製造開始

2007年
「金華さばみそ煮」製造開始

2011年
東日本大震災により被災

2013年
石巻本社工場完成
美里町工場完成