一生懸命という言葉は「命を懸ける」と書く
絶体絶命の淵で全生命、全バイタリティーが一点に集中すると不可能が可能になる


 高木は創業前にはコピー機のセールスマンをしていた。そこでの経験を生かして感光紙の現像液を製造、販売することを思いついた。若き高木は創業しようとしても資金が全くなかった。高木は「金はないが、若さがある」と考えた。そして「何としても自分の手で起業をしてやるぞ!」という情熱がひと一倍あった。そして高木はエネルギッシュに行動を開始する。
 まずその第一歩は事務所の確保であるが、無一文で勇気と情熱だけを持ち合わせている高木は、家賃あと払いで、権利金、敷金ともにゼロという事務所を確保すべく友人知人らに頼み歩いている。
 高木の無理難題に、友人らはあきれ返った。しかし何が何でも企業を起こしたいという高木の情熱が友人らを動かした。家賃あと払い、権利金、敷金なしという事務所を確保できたという。
 高木は語る。
 「世の中不思議なものでカネが無ければ、無いなりに知恵を絞って働くからなんとかなるものだ。人間はなまじっかカネがあると働かない」
 情熱と知恵と行動でニッチナンバーワン企業を目指した高木の会社は、今ではシュレッダーにおいては常に上位を保つ企業となっている。


【プロフィール】
高木 禮二(たかぎ・れいじ)1927年生まれ。
高木が無資本で創業し、中堅企業ながら、シュレッダーでは抜群の知名度になるまでエネルギッシュに粘り強くリードした男。