この感動を友人わ知人や多くの人に味わわせてあげたい
“感動をより多くの人々に与えたい”


 初めてカメラレンズの前に立った杉浦は、写真として写り出た自分の姿に感動し、この感動を友人、親類はじめ多くの人々に味わわせてあげたいと考える。杉浦の創業の原点は“感動を人々に与えたい”という想いである。
 写真家の顧客満足のため、また写真に感動してくださる多くの大衆のために心身を犠牲にして、新技術へのチャレンジを続け、日本初の映画(活動写真)を製作したのも杉浦だ。カメラの普及のために女性が肌を見せただけで非難を浴びる時代、日本初のヌード写真会を企画したり、写真学会を作ったり、写真専門学校(現・東京工芸大学)を設立したりした。
 杉浦は未踏市場へのフロンティアスピリットと負けじ魂、困難をチャンスに置き換える不屈の精神で研究開発へ挑戦した。
 その志を引き継いだ社員達は昭和の時代、世界初の自動焦点装置の付いた“ジャスピンコニカ”を作り出し大ヒットさせた。新しい技術に常に挑戦するこの会社では、“世界初”とか“日本初”の記録を数多くもっている。筆者もコンサルタントとして管理者教育を担当したが、工場の壁には「コニカは小さなものに意地がある」と大きく貼りだされ、ここに杉浦のDNAを継承し続けている姿に思わず感動したものである。


【プロフィール】
杉浦 六右衛門(すぎうら・ろくえもん)1847年生まれ。
新しいモノ好きでアイディアマンであり、はるばる横浜の異人館から写真材料を買い込んで、小西屋六兵衛門商店でそれを売りさばき「サクラカラー」コニカの原点をつくる。