他社と同じものを作っていたのでは売れるはずはない
からだの中には新しいものを開発する血潮が激しく流れている
この想像力を駆使して商売に打ち込んでやろう


 永谷嘉男は〝創造〟という言葉が大好きである。創造する力がなくなったら会社はだめになる。先ず自分自身が創造人になろうとした。また社員に対してはいつも「創造人たれ」と説いて歩いた。
 永谷は創造人の育成のため自ら陣頭指揮をとり、リードし続けた。こうした前向きな創造姿勢は社員の中に浸透し、永谷園は企業ぐるみで創造力を伸ばしていく。
 永谷は、〝ぶらぶら社員制度〟というユニークな制度を打ち出した。「ぶらぶら社員制度」とは開発力のある優秀な社員を通常の業務からはずし、一年間自由に活動させて、ブラブラする中から新しい商品のアイデアを出させようとしたものだ。
 「お金は出すから、日本はもちろん海外にまで出かけていいので、沢山おいしいものを食べてこい」というものだ。
 ぶらぶら社員に任命された人間は大変だ。
 すべて自分で計画を立て、うまいものを食べ歩き、そこから新しいヒントを掴み、消費者に喜ばれる新製品を開発していかねばならない。
 この制度は当時としては大ヒットで、永谷園らしい製品を次々に生み出した。これもまた創造人永谷嘉男らしいやり方であり世の中の話題をさらったものである。


【プロフィール】
永谷 嘉男(ながたに・よしお)1923年生まれ。
ルーツである二百数十年前の宗七郎(始祖)は京都の宇治で緑茶の製法を日本で初めて手掛けた男である。十代目の嘉男にはその血潮が激しく流れおり今日の永谷園のベースをつくった。