事業経営は人材をもってしなければならぬ
人徳の人・肚の人・才能の人がいる
それぞれに性格が異なり、これほど差のあるものはない


 足袋の底にゴムを張りつけた〝地下足袋〟を発明したのは石橋正二郎である。石橋はゴムに惚れ込んだ。このゴムの将来性を示していたのが、自動車のタイヤだったのだ。石橋はさっそく最新型の車ビュイックを手に入れ九州中を走りまわり足袋のPRを行ったという。まだ東京中に車が三百台しかない時代のことである。
 石橋は、「会社は公益である」という信念から自社の利益のみを求めることはしなかった。「勤労者の履物を改良することが一番の世のため人のため」と考え、地下足袋を作り「ゴム底の布靴や長靴を安く提供すれば大衆の生活に益するに違いない」と考え、一生懸命ゴム靴を製造した。
 またタイヤ事業に進出したのも「原材料を輸入するゴム業界こそが輸出により外貨を稼がなくてはならない」という使命感に燃えて、行った事業である。
 石橋はブリジストン美術館をつくり「多くの人の心を潤し、日本の文化の向上のため」として個人の所有物を一般に公開した。ふるさと久留米に寄贈した石橋文化センターの入口には「世の人々の楽しみと幸福のため」と石橋の筆で書かれている。
 そもそもその時代から世界のタイヤ市場に目を向けブリッジ(橋)ストーン(石)と企業名をつけたのも石橋らしい。


【プロフィール】
石橋 正二郎(いしばし・しょうじろう)1889年生まれ。
九州で最初に乗用車を買った正二郎は、久留米の足袋屋の次男坊で地下足袋を発明した男。大のゴム好き人間であり、自動車タイヤに心が行き今日の基盤をつくる。