何も宣伝せずともお金を作れるのは、造幣局くらいなものである
商人ならば、常に腰を低くし頭を下げることだ
商売繁盛の秘訣はお客さまにご満足
いただくことに尽きる


 青井は業界の今まで通りのやり方にとらわれることなく、積極的な広告活動を行ったり、一流のブランド品を扱ったりなどして月賦販売店の古いイメージを払拭していった。
 当時、「月賦屋さん」といえば主に家具中心に扱っていたが、忠治は「よい品をお安く便利に」をモットーに、ラジオや洋服、靴など幅広い商品を取り扱った。そして他社に先がけて現金仕入れをして、顧客のニーズに応えた。
 一方、多くのお客さまに来店していただくためには便利なところに店舗を設ける必要があるとして、駅のそば、それも中央線沿線に重点的に出店する策を打ち出した。
 「商売繁盛の秘訣は、お客さまにご満足をいただくことに尽きる」という、青井の信念は高まり、次々に革新を積み重ねていった。
 青井は「宣伝なくして金を生むのは造幣局のみ」と語り、創業当初から宣伝広告に力を入れた。ジュラルミンの大きな広告版をつくり、中央線の六十か所の駅に設置して大きな反響を呼んだ。
 青井の進取の姿勢は丸井の社員に引き継がれ、今現在も駅のそばで活躍している。
 丸井が常に大切にしている行動指針は「チャレンジ」である。

【プロフィール】
青井 忠治(あおい・ちゅうじ)1904年生まれ。
富山県高岡から上京し月賦販売店に丁稚奉公に入り、二十六歳の時、暖簾分けをしてもらい、家具の月賦販売店を開店し今日の丸井を築く。