人はやりやすいものに
喜んで飛びつくが
厄介なものには背を向ける
これではとても成功はありえない


 「目の前の利害や特質は関知するところではない。苦労は覚悟の上で板ガラス工業を起こし、日本の産業として完成させたい。それこそ自分に課せられた最大の事業である」と志を立てて事業に取り組んだ。困難に向かい「これこそ天職」と考え、心魂を傾けた。「とかく人間はやりやすいものには喜んで飛びついていくが、難しく、厄介なものには目を背けて敬遠したくなる。これではとても成功はありえない」
 岩崎は人間のわがままを極度に嫌った。「私は絶対にそんな人間にはならんぞ。難しいものにむしろ喜んでぶつかっていってこそ成功があるのだ」。そうした岩崎の姿に心惹かれ、協力者が集い、彼の志を支援しようと動き出すのであった。
 「皆の力を合わせてやれば、やれないことはないはずだ。頑張ろう」。岩崎は一人一人の手を固く握りしめ、支援の輪を広げていった。
 岩崎経営の核には聖徳太子の十七条の憲法の「和をもって貴しとなす」がある。岩崎の心の中には、いつも「和」という言葉が脈打ち生き続けていたという。
 筆者もコンサルタントとして旭硝子の特約店グループの指導を数年間実施した経験があるが旭硝子では社内のみならず、特約店との連携さえも和の精神を大切にして行っていたことを思い出す。


【プロフィール】
岩崎 俊彌(いわさき・としや)1881年生まれ。
三菱商事や日本郵船などを起こした岩崎弥太郎の弟で、当時イギリスに留学し海外動向を学び、日本の科学工業の遅れを取り戻そうと板ガラスの日本での製造に取り組む。