「人を幸せにする人が幸せになる」

ベンチャー企業の元祖。不況の影響で勤めていた電機会社を希望退職したことがきっかっけで起業する。
友人から「レントゲン撮影用にタイマーを作ったら当たる」と言われ開発に取り組み、事業を軌道にのせる。
昭和35年頃、一億回寿命のあるマイクロスイッチの開発に挑戦し、成功する。

その後、オートメーションサイバスティの研究を重ね、食券販売機や切符販売機、駅の自動改札をはじめさまざまなオートメーション装置の開発に取り組み、ヒットを飛ばす。
立石は企業の公器性、福祉の心を大切にし、義手の開発や「オムロン太陽の家」など障がい者雇用の草分け的実績を残した、企業の公益性を実践した経営者である。


「人を幸せにすることの反応として自分が幸せを感ずる」


周囲がすべて幸せになっていればいつのまにか自分も幸せになっていく。
奉仕優先・消費者優先という思想である。
自分だけが幸せになりたいということで人を押しのけても、もとの自分の利益ばかり追う自己優先の考え方は間違っている。

「最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる」


「利潤は奉仕する企業の存続経費である」


社会から企業を見ると社会に奉仕してくれる企業こそがありがたい。
利潤は、自分たちに奉仕する企業を存続し、伸ばしていくための経費である。

企業にとっては、利潤追求が目的ではなく、社会に奉仕するための経費をまかなう手段である。
企業がよく社会に奉仕したなら、社会はその企業を末永く存続させる。
つまり『最もよく社会に奉仕する企業が、最もよく利潤をあげる』ということになる。


「あとの人々のために施肥せよ」


いま咲く花は過去の創意工夫の累積の上に咲いている。
百花繚乱の春を迎え、素晴らしい収穫を得るためには、今日いま新しい創意工夫をふんだんに生み出し、惜しみなく企業に施肥すべきである。
「過去の施肥による実りを享受するものは、後に来る人々のために今日惜しみなく施肥しておく義務がある」

京都「御室(おむろ)」にて思索を重ねたノート類
京都「御室(おむろ)」にて思索を重ねたノート類
社名「オムロン」は「御室」から名付けられた
社名「オムロン」は「御室」から名付けられた

社憲「われわれの働きでわれわれの生活を向上し、よりよい社会をつくりましょう」を大石に刻み、工場に建てた時のメモ


「安易に流れず
まず難問に取り組め」


仕事は、できるだけ難しいものと取り組め。それができたら、簡単なものはその過程でできてしまう。
簡単なものから手掛けたら、次々と難しいものが出るたびに何度も苦労を重ねることになる。

難問にチャレンジすれば人間形成もできる。

能率道の教えに従い、タイム管理をしっかりと行った懐中時計
能率道の教えに従い、タイム管理をしっかりと行った懐中時計

「不況を乗り切るには重心(損益分岐点)を下げよ」


不況の荒波を乗り切るためには、船がひっくり返らぬよう重心を下げる。そのためには積み荷までも海に捨てる決断をしなくてはならない。
企業の積み荷である経費、人件費、コストなど思い切って海に捨てなければならない。
企業の重心である損益分岐点を下げることである。

立石の「能率道」の師、上野陽一(産業能率大学創設者)の本はバイブルとして常に身近におかれていた
立石の「能率道」の師、上野陽一(産業能率大学創設者)の本はバイブルとして常に身近におかれていた
机の上は能率道の理論に従い、動作研究がなされ、能率的に配置されている
机の上は能率道の理論に従い、動作研究がなされ、能率的に配置されている

企業成長のための五つの条件


一、経営理念を明確に打ち出すこと
二、人間の本能的行動に従うこと
三、本能的行動が企業を伸ばすよう施策目標を作ること
四、働きがいある環境を作ること
五、全員が参画できるようなシステムを作ること

「永遠なるベンチャー精神」を持ち続けた立石一真は愛する「御室」の近くの寺で眠っている
「永遠なるベンチャー精神」を持ち続けた立石一真は愛する「御室」の近くの寺で眠っている

「人生は人を捜し求めて歩く旅」


人生は、良い先生を、良い弟子を、良い妻を、良い夫をと捜し求めて歩く旅なのである。
きっとこの世の中には偉大な魂の所有者、崇高な精神の所有者、愛情に充ちた人格者、自分の魂と合一できる魂、地獄の底までも行動をともにしようという人がきっといるに相違ない。
これを捜し求めているのが人生だ。


【プロフィール】
立石 一真(たていし・かずま)1900年生まれ。
オートメーションの設備に思いをよせ、駅の自動改札や自動販売のシステムづくりをリードするなど『企業の公益性』を古くから訴えた創業者。