「相互関係を貫く」
人間が人間を使うことは根本的にはできない
相互信頼における協力関係があるだけである


 終戦を迎えた時、五十五人の部隊で生き残ったわずか三人となった塚本は、日本に帰る復員船の中で「自分は何故生き残ったのか」と考えた。「私は生きているように見えるが、実際は生かされているのだ」「生かされている間は、日本の再建復興の一翼を担おう・・・・・・・生き残ったのはそうゆう使命を与えられているからだ。そうゆう使命を母体に一生をやりぬこう」と決意したという。
 この話は筆者がワコールのコンサルタントをしていたご縁で、青山にあった塚本ビルでご本人と酒を交わしながらしみじみと聞かされた話である。
 そして塚本は筆者にこうも話した。「僕は復員船で日本に上陸してから“無着陸飛行”だ」その意味がわからず筆者が尋ねると、
 「つまり飛び立ったまま飛び続けているということだ。あの日から今日まで私は一日も体を休めず使命のために戦士した戦友たちの分まで活動してきた」と語った。
 そして塚本は千二百日修行に出ようとしていた筆者に、「貫く」と色紙に力強く書いてくださった。筆者もその話を聞いたあの日から、“無着陸飛行”を貫き今日まで一日も休んでない。何事も使命感を持って貫くことを塚本の遺言だと思って「優れた企業家の思想を後世に伝える」という使命を貫くため、今もこうしてペンを走らせている。


【プロフィール】
塚本 幸一(つかもと・こういち)1920年生まれ。
百貨店の友人が持ち込んだブラ・パットをヒントにブラジャーの開発・研究に取り組み、女性の下着文化をリードした。京都商工会議所会頭としても活躍。