収入のためだけに売る
そんな心根では世界一を達成できない
よその真似ができないものを作れ


 「日本にはアメリカが舌を巻いた知恵があります。材料が少なくてすむカメラは日本にはうってつけです。ここで我々は歯を食いしばって研究努力を重ねていけば立派なカメラで必ずや世界を制覇する日がまいります」
 医師であった御手洗は東京の日赤病院で働いていたと時、これからの企業の在り方を話し合った。
 「日本にはすでに立派な軍艦があり紡績は世界に雄飛しようとしている。しかし精密工業が日本にはない。これでは世界に遅れをとることになるぞ」
 御手洗はこれからは精密工業だと主張する。そして試作したカメラには信心する“観音”にあやかってKWANONと入れた。
 戦後医師をやめ社長専業となった御手洗は訴える。
 「キヤノンはライカに追いつけ追い越せ。世界が念願だ。その会社が厳しい規格を通らない製品を、ただ収入のためだけに売る。長持ちはしないものをつくる、そんな心根では世界一を達成できない。よその真似ができない世界のものを作れ」
 まもなくキヤノンは世界に三大発明の一つと騒がれた“夢のカメラ”を商品化し、世界中で高く評価を受けるのである。


【プロフィール】
御手洗 毅(みたらい・たけし)1901年生まれ。
「青年よ大志を抱け」と語ったクラーク博士の理念を背負った青年医師は、ある時目黒区中根町の精機光学工業に手を貸すことになり、打倒ライカを旗印に“世界のキャノン”への道をひたすら走った。