水は高い方から低い方へ流れる
情報も頭の高い方から低い方へ流れていく
頭を低く下げていくなら、
おのずといい情報が集まってくるものだ


 三澤は情報人間であり、新しさに敏感であった。
 情報力と画期的なアイデアがミサワホームの飛躍をもたらした。
 「マイホームをもちたいと望んでいる人は多いのに、建築費は上がるばかりだ。これではとても家などもてない。建築費が高いのは、昔からの柱や梁があるからだ。なんとかこの柱や梁を取り除く方法はないものだろうか」
 こうして三澤が考えついたのが、接着剤だけで釘を一本も使わないで家を建てる「木質パネル接着工法」という、日本建築の概念を根本から変えるものだった。
 三澤は建築会社にこのアイデアを売ろうとして交渉したがまとまらなかった。
 「だれもやろうとしないなら、自分の手でやるしかない」と決断し、木材会社を経営する父親に協力を要請した。ものわかりのいいはずの父親だが、あまりにも突飛な話をする息子にあきれて、頑強に反対した。しかし、三澤は何度も何度も父と向かい合ううち、粘りに負け、父はとうとうOKをしてくれた。
 彼は父の会社の三沢木材に入社し、その後ミサワホームを設立、「木質パネル接着工法」の事業をスタートさせた。多くの住宅メーカーは儲け第一主義をとる中、三澤は初志を貫き、ローコスト住宅の開発に力を入れミサワの今日を導いてきた。


【プロフィール】
三澤 千代治(みさわ・ちよじ)1938年生まれ。
若くして画期的な木質パネル接着工法を考えてローコスト住宅を開発した。日本の住宅建設に変化を起こした男。