私のたどった道は、いつも茨に閉ざされた道であった
私はそれをあえぎ、悩み、傷つき進んでいった
そうさせたものは「信」の一字である


 「信」という言葉は、松田のすさまじいほどの人生変転の中で、自ら掴み取ったものである。無一物で全く経験のない世界へ飛び込んでいった松田は、自分で自分を信ずることから始めなければならなかった。そして小さな仕事から、次第に大きな仕事へ、狭い社会から、だんだんと広い社会へ乗り出していく過程で、人を信ずることを学んだのだ。皆と協力し一丸となり、共栄するには、信じ合うしかない。そしてやがてそれは天への信と結びついていく。
 松田は十四歳の時に大阪に出て鍛冶屋の徒弟になり、修業する。そして呉、大阪、長崎などの造船所で技を磨き、知識を深めた。
 松田の生涯を通じて最も記念すべきは、昭和二十六年秋。広島県で開催された国体に来られた天皇皇后両陛下が、東洋工業をご訪問されてから松田の〝信〟の心は今までにも増して深まった。それからの松田は従業員や家族および地域住民への医療サービスのためにマツダ病院を開設するなど、公のために尽くしている。
 松田の人生にとって機械がすべてであった。機械を前にして、松田の瞳は輝き心躍った。「機械のあるところ、我あり、友ありを知り、また天ある」を信じた。文字通り、まったく「信」の一字で生きた人物である。


【プロフィール】
松田 重次郎(まつだ・じゅうじろう)1875年生まれ。
機械大好きの職人であった。外国の自動車のモノマネでない独自の構想を練りこみ三輪トラックからスタートさせた技術屋である。