できないというのは工夫が足りないのだ
研究心が足らないのだ、
これくらいのものができなくてどうする
なんとか工夫を続けてみよ


 河合が十三歳のとき、たまたまアメリカから新型のオルガンが日本へ輸入された。それを初めて見た小市は、素晴らしさに驚き感動する。
 そして、「日本にだってできないはずはない、なんとか工夫をしなければならない」と、自ら励まして勇気づけながら、一心不乱に工夫を凝らして研究を積んだ。
 河合は、アメリカ製のオルガンにのめり込み、ストップの数を増やしたオルガンをつくり出すことに見事に成功した。
 アメリカ製のオルガンと弾き比べてもなんら見劣り聞き劣りすることがない。これが河合小市の発明の第一歩であった。
 海外の楽器工場視察のためアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリアなどの欧米各国を見て歩いた河合は、パイプオルガンの製作にとりつかれ、
「河合楽器研究所」を創業。河合ピアノは他社製品より価格が安いうえ性能もよかったので注文殺到した。
 また、世界的な「ピアノ響板」というものを発明し、次いで小型オルガン、小型ピアノ、グランドアクションの発明など一生を発明にささげた。


【プロフィール】
河合 小市(かわい・こいち)1886年生まれ。
アメリカから輸入された一台のオルガンを深く見つめ、多くの発明と技術力をもとにオルガンやピアノをつくり出した、大の楽器好きの発明男。