店は顧客のためにあるが、お客様のニーズは絶えず変化している
この変化にスピーディーに対応し、どれだけ満足を提供できるかを考え続け、創造していかなければならない


茅野は長野県で十年間続けた農業をやめ東京に出て食品スーパーを設立し、多摩地区に六店舗まで展開した。しかし、流通革命が始まって、大手のスーパーが次々に出店してきてすぐさまピンチに立たされた。
「これではとても生き残れない」と判断し、茅野は、時流にうまく乗り換えようと外食産業に進出した。
「アメリカでたいへんな伸びをみせているが、近い将来日本にも必ずブームがやって来るにちがいない。フードサービスこそ、自分にとって最も納得のいく仕事ではなかろうか。」茅野はこう決断し、フードサービス事業一本に絞った。
すかいらーくは、郊外型ファミリー・レストランを狙った。アメリカ流に、主要な道路に沿ったところに駐車場を備えた店舗をもち、当時では画期的なものだった。
「お客さまには、テーブルの後片付けがきれいに済んでから、席まで案内する。」「こみ合ってきても相席させない」というサービスを徹底したが、これも当時としては新鮮なものだった。

茅野の語る商売の信条「二つの『ありがとう』の心が出会う場所。それが、すかいらーくだ」


【プロフィール】
茅野 亮(ちの・たすく)1934年生まれ。
長野県で十年間も農業をしていたが「納得のいく仕事をしてこそ生きがいというものだ」と志から上京して成功した、立志の企業家。